stantonharukaの日記

春香さん中心に書いています。

新卒退職した話

私は新卒で入社した会社に、

2日目で見切りをつけ、

5日目に最後の出社をし、

15日目で書類上の退職を完了しました。

 

退職ネタはよくツイッターで書いているのですが、昨年参加させていただいた「新卒退職本5」へ寄稿した文章を元に、ブログ用の記事にいたしました。

 

これから会社員になる予定の方や、退職するかどうか迷っている方のご参考になれば幸いです。

 

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留年、そして就職活動のプロに

 

みなさんは「禁煙のプロ」というジョークを聞いたことがあるでしょうか。

俺は禁煙のプロだ。なぜなら何度も禁煙しているからだ

というような話でして、類似するものに「結婚」や「ダイエット」等があります。

 

このジョークになぞらえて言うと、私は「就職活動のプロ」と称してもよい人間です。

 

プロにならざるを得なかった経緯を告白します。

 

本来私は2018年の3月に大学を卒業し、内定を いただいていたメーカーへ就職するはずでした。

 

しかしながら、卒業10日前にもなって、必修科目と非必修科目とを混同して必修科目の一つを履修していないことが発覚しました。

 

 

フル単ではありますが、「卒業単位」が2単位足りないため当然留年です。

内定先からは「秋に卒業すれば?」と言われ、人事部長さんが大学に交渉してくださったそうなのですが、大学側が拒否しました。内定辞退を余儀なくされたのです。

 

就職活動の時期は年によってばらつきがありますが、私の世代は、大学3年生の10月にインターンシップが始まり、3月1日に説明会の予約が始まるのが基本でした。

留年、そして内定辞退が決まったのが3月10日なので、インターンシップは到底行えません。説明会もすでに始まっています。

そのため、一念発起して就職先を役所に絞りました。「公務員浪人はよくいるため、職場で年齢が多少違っても馴染みやすい」というアドバイスを受けたことと、SPIと面接・グループワークだけで受けられる役所を見つけたためです。

 

公務員試験を受け、いくつかのグループワークや面接をクリアしましたが、9月の最終面接で落ちてしまいました。

私は残暑の季節に、2度目の禁煙ならぬ、2度目の就活を行うことになりました。

 

2度目の就活といっても、マイナビリクナビ等の就活生御用達サイトに、内定式が始まろうかという時期から登録するのは気が引けてしまいました。そこで、大学の就職課のつてを借りることにします。

私が通っていた東京都内の私立大学は、人によって評価が分かれるものの、ある程度は名が通る私立大学でした。そのため、大学に求人票を掲載している企業も優良なところが多いだろうと自惚れたのです。それは文字通りの自惚れでしたが……

 

11月頃までに数社受け、3社から内定をいただくことができました。

どの会社もいわゆる法人向けのサービス・製品を展開する中小企業で「仕事内容と給料はさほど気にしないが、土日の休みは欲しい」という就活生が選びがちなところではないでしょうか。

 

そのなかから私は、取引先が大手かつ多角的で、資本金額や自己資本比率が良さそうな専門商社の内定を承諾することにしました。月の残業時間も比較的少なく、給料も良くはないですが悪くもありませんでした。

 

そのときは早く両親を安心させたい一心と、大学の紹介だから変な会社ではないだろうという慢心から、逆質問や会社訪問をとくに行いませんでした。これは12月のことでした。

 

そうだ退職しよう。

時が流れ、1年越しに卒業を果たした私は4月1日、入社式当日を迎えていました。2度目の就活ともあって面接慣れしておりハキハキ話していたことや、おじさん受けの良い出身大学の名前からか、新入社員代表としてスピーチも任されました。

 

しかし、初日から違和感がありました。

 

入社式には会社の幹部や関連企業の社長らが出席していたのですが、誰もがみな同じ名字でした。

 

社員の方々は、20代くらいの若手と50〜60代くらいのベテランしか見受けられません。

 

数階建ての自社ビルではあるのですが、男子トイレには東京五輪大阪万博の時期から使われているのでしょうか、古い和式のトイレがぽつんと置かれているだけでした。

 

建物全体の天井もやけに低いです。

 

入退室時や食事を取るときなどに、細かいルールを強制させられます。

 

そんな会社に入ってしまったのです。


  社会人生活二日目、いい経験になるからと会議を見学するよう言われ、新人ながら同期たちと営業会議に出席しましたが、そこで私は驚愕しました。

会長が営業部の方々を怒りに任せて糾弾しているのです。

やはりと言うべきか、社長を始めとする役員や重役からはひとつも反論がありません。

 

ド新人の私でさえ、「なんとかしろ」との言葉のみで売上と利益を三倍にしろと怒鳴りつける行為については合理的ではないと判断しました。

 

入社したこの場所は、同族経営ワンマン会長が独裁体制を敷き、従業員を委縮させる会社だったのです。

 

また同日に、新入社員の今後のスケジュールについても説明を受けたのですが、なんと明日からは、山奥の施設で2泊3日の研修を受けるとのことでした。

 

「研修施設ではどんなことをやるのか」と尋ねたところ「人格否定」と笑顔で返されてしまい、苦笑いするほかありませんでした。

同期から断片的に聞いた情報によると、素手でトイレ掃除をするという社会人に必須のマナー を学ぶらしく、私は悲しくなってきました。

 

健康保険証や労働条件通知書、雇用契約書などをもらっておらず、その説明もありません。いつ、それらがもらえるのか尋ねたのですが、「新人は研修に集中するように」とのことで打ち切られてしまったうえ「明日からの派遣研修のまとめ役になるように」 と、同期十数名の引率を要請されました。

 

私は入社2日目に、この会社で長く働くことはできないと考え、退職する決意をしました。

決意からの行動は早く、大学へ報告のメールを送信しました。

 

次に、両親と相談して派遣研修を終えたら退職するという意思を伝えました。留年という失敗をした息子が退職をしたところで、もはや驚かないようでした。

 

天海春香生誕祭と退職代行

入社3日目の朝を迎えました。

普段の私をご存知ない方に説明しておくと、私はアイドルマスター天海春香さんが好きな「プロデューサー」でして、4月3日はその天海春香さんの誕生日です。

入社前から編集していた動画も投稿しました。

 

しかし、2019年の4月3日は鬱屈した感情が私を覆っています。

同期との集合前に百貨店へ向かい、春香さんの誕生日を祝うバースデーケーキ……ではなく、社会人御用達の菓子折りを買いました。

 

研修施設を運営する団体に会社が長年お世話になっているため、毎年新入社員が手土産を持っていく決まりだったからです。

 

同期に関東出身者はほとんどおらず、東京の交通機関に慣れていない者が多いうえ、地方の商業高校から出てきたばかりの女性も何人か居ます。手土産の準備や乗り場の確認など、引率関係はやはり私が行う必要がありました。私が2日目までに退職していたらどうなっていたでしょうか。

 

研修施設の最寄りまで移動する間に、退職代行会社に連絡しました。

退職代行会社はいくつかあるのですが、私は、そのなかからLINEでやり取り可能な会社を選び、名前や会社名、貸与品の有無などについて伝えました。

パワハラが横行している」「変な研修を受けさせられる」「そもそも入社して三日目である」といった私の状況に担当者は一切驚かず、 淡々と必要な手続きの解説や、確認をしていただきました。

 

「入社式の日に提出をした年金手帳が返されていない」という私の訴えに対しても、「会社に返却を求めるが、もしも返却されなかった場合には、年金事務所で再発行ができる」と親切に教えてくれました。

その後も、進捗状況の報告は随時していただけましたし、手続きについてわからないことがあればすぐに答えてくださいました。迅速に対応してくださった担当の方にはいまでも感謝の気持ちでいっぱいです。

 

退職代行サービスについては学生時代、「退職も代行の時代」という見出しを見ていたので存在を知っていました。

 

アルバイト先を円満に辞めた経験は二回ほどあるため、「退職の意思くらい自分で言えよ」と思っていたのですが、実際に利用してみて利用者の気持ちが分かりました。

コミュニケーションが苦手で退職の意思を伝えられないという理由で代行サービスを利用する方もいらっしゃるでしょうが、私の場合、入社をして日が浅く直属の上司や人事担当者が分からないという根本的な問題や、そもそも会社の体質的に新人が辞めると言い出した時に何をされるのか分からないといった恐怖感、最も大きいのはこの会社とは一切関わりたくないという拒否感によるものでした。

 

 

社会人になるための研修施設

退職代行の予約が終わると、ある程度気持ちは楽になりましたが、ここから研修施設で二泊三日のイベントが待ち構えています。

 

施設は山の中にありましたが、地方都市の中心部から車で2、30分と走れば着く場所でした。

外観や内装の第一印象は綺麗なホテルそのものなのですが、いたるところにある「ありがと う」「感謝の気持ち」の張り紙、鎮座する笑顔の測定器、そして流れっぱなしになっている数 年前の流行歌(父と母に感謝をする内容の歌)が不気味で仕方ありません。

 

事前に私は「こんな研修を受けさせるのは自分たちの会社だけか、いたとしても数社数名程度だろう」と思っていたのですが、20数社、約100名が参加していました。しかも、あと数回ずつ研修生を受け入れるという盛況ぶりです。いわゆる大企業の名前は見当たらなかったのですが、建設、介護サービス、飲食チェーン、商社など様々な業界の名前があり、私が幼い頃に食べていたお菓子を作るメーカーからも新入社員が送り込まれていて震えました。

 

2泊3日で行う研修内容は、大きく座学と実地訓練に分けられます。

座学では、名刺交換の ルールや上座・下座の区別といったそこそこ有用なこともある程度教えてもらえたのですが、それより重きを置かれていたのは「感謝」「やりがい」といった「美しい日本社会」のあり方でした。

 

座学では、時おり講師が研修生に「これはどういうことだと思う」「みんなはどう?」などと 問いかけます。私は出来るだけ即答し意見を表明した方が講師のポイントを稼げ、悪い関心を引かないということを経験則で知っています。

毎回最前中央に座り、講師の質問にはひたすら手を上げ続け、「社会人にとってふさわしい内容」の回答をしました。この判断が後に功を奏することになりました。

 

問題は実地訓練です。班を組まされ、大音量で音楽が流れるなか「ありがとうございます」を喉がかれるまでひたすら叫び続けたり、「はい!」という返事の練習をしたりしました。声が小さいとみなされたら、罰としてその声出しの回数が増えるか、3分ほど正座をさせられることになっています。言わずもがな連帯責任制です。

 

私は体が大きく、アイマスのライブでコールをするオタクなので大声を出すのは得意です。

しかし、緊張や萎縮で声が上手くでなかったり、そもそも大声を出したことがなかったりする人たちもいます。そういう人たちは罰に罰を重ねた挙句、喉をつぶしてしまい、 聴くに堪えないガラガラ声になっていきました。講師陣は「頑張っている証拠」として彼らを褒めたたえていたのですが、私には見るに堪えない茶番そのものにしか見えませんでした。

 

最も苦しかったのが、舗装されていない山道を裸足で歩かされた挙句、砂利の上で「社会人になる覚悟を素養する」ため、20分ほどの正座をさせられるものです。私は足が太く、正座する習慣がないため正座できません。20分経つ前に、姿勢を崩して罰せられるのは目に見えていました。

 

そこでどうしたかというと、仮病を使いました。過呼吸です。

 

過呼吸は「呼吸を早くする」という簡単な動作ですぐに「症状」が表れるうえ、周囲からも苦しそうに見えるため目立ちます。過呼吸になり、音を立てて砂利の上に勢いよく伏すと、研修生はもちろん、さすがの講師陣も心配して私のもとに駆け寄ってきました。「ごめんなさい!ごめんなさい!」と泣き喚きながら、過呼吸を数十分続け、正座タイムが終わり研究生たちが去っても続けました。仮病とはいえ過呼吸は相応に苦しいので、意識が朦朧となっていきます。その最中、担架の上に重たい身体が載せられたのが肌の感覚で分かりました。これで病院に搬送されれば、研修から逃げられます。

 

少し落ち着いた私はベッドから横を見ると、

「感謝の気持ち」

という文字を認めました。私は施設からの脱出に失敗したのです。けれども「真面目に座学を受け、大声を出して頑張っていた若者が、体調不良で倒れる」 というのは講師陣にとってまさに美談そのもののようで、体調がよくなるまで寝ることを許されました。座学や挨拶の練習を真面目なフリをしてこなしていたことが功を奏したのです。

 

最終日にも過呼吸になったふりをして挨拶の練習を中座しました。

ベッドに横たわりながら、私の大好きな天海春香さんや天海春香役の声優中村繪里子さんのことを考える時間ができたため、洗脳を受けずにすみました。

懸案だった素手によるトイレ掃除の時間も、廊下の雑巾がけという可愛らしい掃除を任されるのみで、幸運でした。

 

搾取構造

研修初日の昼頃に「こんなことやってらんねえ」と言っていたヤンキー風の研修生が、2日目には笑顔で実地訓練をしていたことに恐怖を覚えました。「理不尽な行為を強制され続けると心理的不協和が生じるため、その行為に合致する態度をとるようになる」という強制的承諾 が働いたのだと思います。

 

私は大学で社会心理学の講義を受けていたため、上記の研修生ですとか、「社会人になるにはこういうことをする必要があるし、ここまで大変な思いをしているのだから立派な社会人になれるよね」と話す同期を見ても同調せず、そうした心理状態の変化こそが研修の意図するものであると客観視できました。しかし、そのような理論を知らなければ流されてしまっても不思議ではありません。

 

ちなみに、入社先の同期もそうなのですが、研修生のなかには関西や東北系のイントネーションで 喋る人が多いように感じました。このような研修を受けさせる企業は、なぜこぞって地方出身者を採用するのでしょうか….

これは研修中ひたすら考えていたことなのですが、地方の私立大学出身者や商業高校出身の若者を、関東に所在するコンプライアンス意識の低いブラック中小企業が採用するのは理にかなっています。悪い言い方をしてしまうと、彼らには知識がない場合が多いです。

労働関係の法律や心理学的な知識がなかったり、退職代行サービスや弁護士に相談するという発想がなかったり、世間一般的に見て現在の自分がどういう状況にいるのかを客観視することもできない場合が多いです。そもそも彼らの中には奨学金の返済という重荷を背負う者も少なくないですし、上京して社宅に入ってい ることから衣食住や交友関係にいたるまで会社のシステムに組み込まれています。そのため、彼らにとって、すぐに退職してしまうという選択は取りづらいものなのでしょう。

 

何らかの理由で地方出身者を積極的に採用する普通の企業もあると思いますが、こうした搾取構造の餌食になってしまう方も毎年いるのではないでしょうか。大学とツイッターで得た偏屈な知識を持ち、奨学金がなく、実家が関東にある幸運な私は、速攻で辞める決断ができました。

 

就職活動のプロとして

4月5日金曜日に自宅へ戻って以降、会社へ一度も行っていないですし、会社の人間と一度も連絡を取っていなません。

退職代行会社が手続きを仲介してくれるおかげで、退職届の手配はもちろん、離職票の送付や年金手帳の返却もしてくれたため、関わらずに済んだのです。いわずもがな、今後も関わりたくありません。

 

悪夢のような研修から生還した私は履歴書や職務経歴書、証明写真の準備、そして転職サイ トの利用をし始めました。つまるところ3度目の就職活動です。

 

具体的な業務経験やすぐに役立てそうなスキルがないことがネックになり半分ほどは書類選考で落ちてしまいましたが、裏を返せば、それでも面接の調整をしてくださる企業が半分ほどあったということですし、転職コーディネーターの方も親身になって提案をしてくれたため、私はGW前までに無事内定をいただくことができました。

いま働いている会社も、会社員歴数日の私を人事課に配属するくらい変なところはあるのですが、居心地がよく勉強もさせてくれる会社なので、転職して良かったと思っています。退職した経験を生かして人事労務関係のマネージャーになりたいですね。

 

インターンシップを受けてその会社の雰囲気を把握していたり、日経225の安定企業であったり、よっぽどその企業に魅力を感じていたりするのであれば別ですが、そうでない企業に入るつもりでしたら、入社後の研修内容について面接時の逆質問の時間で聞いておくべきでしょう。

また、三年以内の離職率や職場の年齢層、従業員の出身大学などの情報も、その企業の特性を理解するうえで役立つかもしれません。

 

転職経験者かつ人事課の端くれとして追記するなら、「最近御社で導入した制度はなにかありますか」「コーポレートガバナンスの体制はどうなっていますか」という質問も有効だと思います。精神的にやばい会社を8割は炙り出せるはずです。

 

万が一、新卒入社先がパワハラの多かったり、契約書がなかったり、研修でつらい思いをしたりする場所でしたら、私のように即退職して転職することも可能です。

退職代行サービスの担当者、もし必要であれば弁護士に頼ればスムーズに退職ができますし、よっぽどの大企業や零細企業以外でしたら、4月以降も若手を募集しています。

 

以上は、就職活動を3回行った「就職活動のプロ」としてのアドバイスです。